奈良の墨 The sumi of Nara
平安時代には、墨の原料である松煙の産地が墨を造っており、奈良の墨は寺社を中心として、紀伊熊野の山々から松煙の供給を受けて造り続けられていました。
奈良県の興福寺は、藤原氏の氏寺として建立され、藤原氏の隆盛と共に興福寺の財力が豊かになり、灯明に使う胡麻油や筆記や写経、春日版と言われる木版摺りの経典に使う墨の生産などを一手にしていました。特に墨は、興福寺ニ諦坊(にたいぼう)に造墨手を置き、かなりの量がつくられていたと考えられています。
日本製墨の墨づくり
Sumi making of Nihonseiboku明治時代の中期に坂倉文五郎が、奈良の地に於いて坂倉文賞堂の屋号で製墨業を創業し、現在までに様々な墨を製造してまいりました。
日本製墨の代表的な墨
萬世
玄之又玄
紅花墨
墨づくりの工程
墨は煤(すす)、膠(にかわ)、香料を原料に練り合わせて作ります。
墨には、菜種、胡麻、桐の油を燃やして採った煤から製する「油煙墨」と松脂(まつやに)を燃やしての「松煙墨」があります。
煤は、黒々とした墨の色を示し、膠は紙や木に書かれた煤を定着させる働きをし、香料は膠のにおいを消し、清い香りをもって書く人の気持ちをやわらげる役割があります。
墨は気温が高く湿気の多い夏場は膠がくさりやすくなり、墨づくりには適さないので、墨づくりは毎年10月中旬から翌年4月下旬までの寒期に行ないます。